西美濃三十三霊場第十五番札所
楊岐山安國寺(あんこくじ)
所 在 岐阜県揖斐郡池田町小寺304-1
宗 派 臨済宗
本 尊 十一面観音
創 建 南朝興国六年(1345年)如月 足利尊氏
開 基 鎌倉円覚寺四十二世 此山妙在禅師
安国寺の位置は、8番・善南寺と9番・弓削禅寺の間なのに、なぜ15番になったのか、理由は良く分かりません。善南寺から約2.1㎞北にあり、安國寺から北へさらに約3.2㎞程行ったところに弓削禅寺があります。
第15番霊場の碑 |
池田山山麓道路(西美濃お茶街道)沿道にあり、東方向を眺めれば、岐阜城のある金華山(旧稲葉山)まですばらしい眺望を楽しむことができます。周りは茶畑が広がっていて一面の緑が気持ちよく、5月頃はウォーキングに最適なコースです。
お寺の裏は御覧の通り茶畑が広がります |
南朝興国6年(1345年)2月、足利尊氏公が元弘の変以来の戦没者慰霊の為、京都嵐山天龍寺の夢窓国師の勧めにより、後村上天皇の勅願を仰いで、日本国内六十余州に各々一ヶ寺の安国寺を建立した中の一つです。鎌倉円覚寺四十二世、此山妙在禅師を招いて開山しました。
戦火により幾度か焼失し、今では往時の面影はなくなって寺はこじんまりとしたものになってしまいましたが、かつては境内も広大で利生塔と共に七堂伽藍が立ち並んでいたと伝えられています。
安國寺は土岐氏ゆかりの寺で、明応4年(1495年)9月、美濃国守護土岐成頼公も当寺に入り剃髪しています。裏山には伊予国の土岐氏の忠臣:河野通直の第四子稲葉通富公によって白髭城(池田山城)が築かれ、今も城跡の一部が残存します。
悲願千人切り 白雲の墓と伝えられる五輪塔 |
この通富の六男光朝は白雲と号し安國寺に住んでいましたが、稲葉山城主だった斉藤道三に滅ぼされた主家土岐氏の仇を討つべく、道三に関係する人々を1夜に1人、延べ千人を切り殺そうと志をたてて、夜な夜な稲葉山城下に出没し、斉藤家を震え上がらせたという逸話が残っています。この話は下村悦夫の小説「悲願千人切り」として紹介されていて有名で、白雲の位牌や供養の五輪塔が今も安國寺にあります。
寺から東を望めば 稲葉山城(岐阜城)まで眺望できます |
近くの「霞間ヶ渓」(かまがたに)は、渓谷と桜の取り合わせがすばらしい景観を作り出すことから、国指定名勝及び天然記念物になっているほどの桜の名所で、春は大勢の人で賑わいます。周辺見どころその1でも消化しましたが、遠くから見たとき、一斉に咲いた桜によって、まるで山に霞(かすみ)がかかったように見えるので「霞間ヶ渓」」と名づけられたと言われています。
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