2012年2月3日金曜日

西美濃三十三霊場第19番札所


西美濃三十三霊場第十九番札所

清光山明台寺(みょうだいじ)

所 在 岐阜県大垣市墨俣町墨俣225

宗 派 浄土宗西山禅林寺派

本 尊 阿弥陀如来(十一面観音)

創 建 大治元年(1126年)

開 基 興教大師



明台寺は大垣市墨俣町にあり、JR大垣駅からは約7.5㎞、自動車で20分くらいです。すぐ目の前には清流長良川が流れ、豊臣秀吉出世の足がかりとなった一夜城跡も近くにあります。
第19番霊場の碑


寺の由来は古く、嵯峨天皇の時代(810年~823年)墨俣川(現在の長良川)に架かっていた古い木橋の橋杭が、砂中に朽ち残って自然とお地蔵様のような形になって発見されたことに遡ります。

その後、歌人だけでなく仏師としても名高い参議小野篁公(802年~852年)を京都から招き、完好でにこやかな地蔵菩薩の姿に加工彫成し、開眼供養しました。

天慶二年(939年)朱雀天皇の勅使が都より関東へ下向の途中、その地蔵堂に立ち寄り参拝し、「朽ち残る真砂の下の橋柱またみちかへて人渡すなり」と詠まれたところ、地蔵菩薩は「ニッコリ」と微笑を口に浮かべましたため、地蔵菩薩のご尊号を「橋杭笑地蔵菩薩」と名付け、小さな仮堂に祀ったのが明台寺の前身です。

明台寺は、 興教大師覚鑁上人が東方への布教の途上、墨俣の信者に請われて開山となり、大治元年(1126年)に真言新義派所属の密教寺院として建立しました。


鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、法然上人の弟子である西山上人(1177年~1247年)が東方への教化の旅で明台寺を訪れ、浄土教の教えを説きました。このとき明台寺の住僧も西山上人に帰依し、浄土宗西山禅林寺派に転宗して今日に至っています。



明台寺界隈は寺町と呼ばれ、古い寺院が多く昔の面影を残しています。廣専寺 本正寺 等覚寺 光受寺 満福寺は浄土真宗大谷派東本願寺が本山で、小道をはさんで六寺が寄り添うように建っています。各寺院には寺宝・文化財が多く、歴史の歩みを深く感じさせてくれます。


 戦国時代を語るときには欠かせない秀吉出世物語の最初を飾る「墨俣の一夜城」も近くにあります。かつては石垣しかありませんでしたが、平成3年に天守閣風の歴史資料館が建てられ、多くの人が訪れています。

城の下を流れる犀川の堤防は、2㎞にわたって約1000本の桜並木が続く花見の名所で、毎年3月末から4月上旬には「さくらまつり」が開かれ賑わいます。桜のトンネルや、花に囲まれた一夜城は圧巻で、東海地区でも有数の春の観光スポットでしょう。秋には秀吉出世祭りも開かれて賑わいます。

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