2012年1月18日水曜日

西美濃三十三霊場第17番札所

西美濃三十三霊場第十七番札所
西額山新善光寺(しんぜんこうじ)
所 在 岐阜県大垣市緑園31
宗 派 天台宗
本 尊 一光三尊阿弥陀如来、聖観世音菩薩
創 建 明治14年(1881年)11月9日
開 基 



長野県長野市の信州善光寺は、皇極天皇元年(642年)に創建された、国内有数の古刹です。御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は、宗派・身分・性別などを問わず、あらゆる衆生を極楽浄土にお導きくださる仏様として幅広い信仰を集めました。
善光寺信仰は平安時代末期から全国的に広まり、鎌倉時代になると各地に「善光寺」という名前の寺院が建てられたり、善光寺如来様と同じ一光三尊様式の阿弥陀如来像(善光寺仏)が祀られたりするようになりました。
平成四年(1992年)、信州善光寺がこれらの寺院へのアンケート調査を行ったところ、全国には443の「善光寺仏」があり、「善光寺」を正式な寺名とする寺院は119ヵ寺にものぼることがわかりました。その一つがこの西額山新善光寺です。
第17番霊場の碑


大垣市にある新善光寺は、明治11年(1878年)に発願がなされ、同15年(1882年)5月15日「西額山新善光寺」の称号が認可されました。
寺院の建立は、信州善光寺が西濃一市五郡の有志と協力して、大垣市郭町に本堂を完成させ、同年6月1日に恵心僧都作の一光三尊阿弥陀如来を信州善光寺より当寺に移し、安置したことに始まります。

明治24年(1891年)10月28日、濃尾震災に遭遇し、本堂をはじめ庫裏その他の付属建物は全壊し、仏具、什器に至るまでことごとく破損しましたが、一光三尊阿弥陀如来の本尊だけはわずかな損傷もなく奇跡的に残りました。

その後、明治41年(1908年)3月15日に現在の本堂が再建され、昭和12年(1937年)道路建設工事のため原在地に移築され、現在に至っています。
マンションと並んで建っている新善光寺本堂

本堂は木造総丸柱、側廻り組物は三手先尾垂木という本格的なもの。向拝の蛙股は「牛に引かれて善光寺参り」の彫刻があり、内陣の欄間は二十五菩薩が彫られています。
周辺は学校やショッピングセンターも近く、住宅地に変貌しており、近年はマンションが建つなど、景観的には少々違和感があります。
本堂の造りは本格的です

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