2012年3月11日日曜日

西美濃三十三霊場第21番札所


西美濃三十三霊場第二十一番札所

紫雲山安楽寺(あんらくじ)

所 在 岐阜県大垣市赤坂町756

宗 派 浄土宗

本 尊 釈迦如来(聖観音)

創 建 593年(推古天皇元年)聖徳太子

開 基 寛文十二年(1672


大垣駅から西北、直線で約4㎞のところに勝山(旧岡山)という標高53mの小さな丘があり、この東のふもとに安楽寺が建っています。最寄りのJR美濃赤坂駅からは、わずか600mほどの距離です。
第21番霊場の碑
周辺には住宅なども多いのですが、ここだけが切り離された空間のように存在していますから、山門に向かう階段を登って行くうちに、いつの間にか自分自身が歴史のパーツになったかのような感覚になります。

写真の中央に見える丘が「お勝山」

山門に続く石段

安楽寺の歴史は大変古く、創建は推古天皇元年(593)、聖徳太子によるものと伝えられる古刹です。その後は、東西交通の要衝であり、軍事的にも重要な位置にあることから、節目節目で歴史上の大事件にかかわりを持つことになります。

古くは壬申の乱(672年)の際、大海人皇子が安楽寺に戦勝祈願して勝利を納め、のち大友皇子の冥福を祈り宝物を寄進したといわれています。


応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱では、足利義政と対立した足利義視が、土岐成頼を頼って一時美濃に亡命しました。その時の居所であったとされる場所が、この安楽寺の境内にあります。



さらに下って、関ヶ原合戦では、徳川家康がこの岡山に最初の東軍本陣を置き、安楽寺に戦勝祈願しました。家康は、合戦で勝利を収めたのち、「岡山」から「勝山」に名前を変え、安楽寺には三つ葉葵の定紋の使用を許しました。今も、寺のあちこちに「三つ葉葵紋」を見ることができます。


また、この寺の梵鐘は、関ヶ原合戦の際には、西軍の大谷吉継が軍営で使用したもので、合戦後に徳川家康が戦利品として寄進したものと伝えられています。











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