西美濃三十三霊場第二十七番札所
臥龍山行基寺(ぎょうきじ)
所 在 岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
宗 派 浄土宗
本 尊 阿弥陀如来(十一面観音)
創 建 伝天平時代
開 基 行基菩薩
臥龍山行基寺は岐阜県の西美濃地方、海津市南濃町の養老山脈の中腹に有ります。西美濃三十三霊場のうち最も南に位置しています。その歴史は天平時代にさかのぼる由緒ある名刹です。歩いて登るのがきついという人は、上に駐車場がありますからお車で登れます。
第27番霊場の碑 |
天平時代、美濃・尾張・伊勢の三国にしばしば大洪水がおこりました。 濃尾平野は大海原と化して人命や家財に莫大な犠牲を出したといわれています。
当時、大仏建立の勧進のために諸国を行脚されていた行基菩薩はこの悲惨な惨状から諸人を救済するため、 奈良の東大寺(大仏)建立と同じ時期に臥龍山行基寺を開山・建立されました。天平宝字元年2月2日、行基菩薩(82歳)は奈良の大仏の姿を目にすることなく臥龍山行基寺の地に入定されたと伝えられています。
最初は臥龍山菩提寺と称していましたが、延元元(1336)年、南北朝の戦乱に巻き込まれ全て焼失してしまいました。
元禄13年尾張藩2代藩主徳川光友の次男松平摂津守義行が高須(現海津市内)に封ぜられたとき、高須円心寺住職性誉がこの地の旧蹟再興を進言したので、義行は、松平家の菩提寺として伽藍を再建し、宝永2年7月に完成しました。
旧寺の山号をとって臥龍山行基寺と名づけ、構えは山腹を利用した城郭造りで、石塁は慶長18年名古屋城築城の際、この地方から多量に搬出された河戸石を用いています。
安定感のある本堂 |
三門、本堂、大書院、小書院、庫裡、松平家廟等は当時の大名の偉容を示しています。文政3(1820)年に三門が建てられ、門上に三尊仏釈迦・千手・弥勒が名古屋の伊藤治郎左衛門より寄進され安置されました。現在の本堂は、天保3(1833)年に再建されたものです。
堂々とした三門 |
行基寺からは濃尾平野が一望でき、遠く名古屋市や伊勢湾まで見渡すことができます。景色を楽しむという点では、三十三霊場の中でも屈指と言えるでしょう。寺の周囲は緑のほか何もなく、実に静かで爽やかな環境なのも時を忘れさせてくれます。
遠くに名古屋駅のツインタワーが見えます! |
もちろん夜景も抜群で、別名「月見の寺」とも呼ばれています。お寺にある「月見の間」からの眺望は素晴らしく、秋の夜に訪ねたいお寺ですね。
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