2011年11月29日火曜日

西美濃三十三霊場第10番札所

西美濃三十三霊場第十番札所
洞海山平安寺(へいあんじ)
所 在 岐阜県揖斐郡池田町舟子402
宗 派 臨済宗妙心寺派
本 尊 薬師如来(聖観音)
創 建 平安時代後期・寛治年間108794
開 基 慈覚大師・円仁 


平安寺は、寺の由来そのものが9番・弓削禅寺と深い関係にあるため、直線距離で約400メートル、道路を通っても約800メートルしか離れていません。
第十番霊場の碑

平安寺の寺伝によれば、白河法皇が谷汲参詣の折にかかった病を湯華寺で湯治平癒されたことから、感謝の意をこめてこの地に平安殿を建て、大般若経六百巻を書写奉納されたのが現在の平安寺の前身であったとされています。
当初は天台宗でしたが衰退し、萬治元年(1658)快伝和尚が再建したとき臨済宗に改宗しました。

外観 塔が見えますね!

本堂はごく質素です


コンパクトな境内に釘貫門、本堂、鐘楼、庫裏がありますが、そうした中、異彩を放っているのが二重塔です。

二重の塔 造りは本格的です
九輪を含めても高さ約6~7メートル位でしょうか。もとは江戸時代に彫物師国枝桂助が塔の雛型として作成したもので、揖斐川町の秋葉神社にありました。明治に入り廃仏毀釈令で解体されそうになったとき、平安寺が引き取って境内に移築したそうです。

違う角度から 小さいが立派です
 奈良海龍王寺の五重小塔など、室内に納められた小塔はありますが、こうして屋外にあるミニチュア二重塔は他に見たことがありません。比較的新しいものとはいえ、細部まで精巧に造られていて、はっきりとしたデータはありませんが、全国的に見ても大変珍しいものではないかと思います。こじんまりとした平安寺の庭園にはぴったりのサイズに思えます。

寺の外には数本の四季ザクラがあり、小さな花を楽しませてくれます。写真は10月ですが、ちらほらと花が開いています。
左の方にちらほらと花を付けた四季ザクラが見えますね

2011年11月27日日曜日

西美濃三十三霊場第9番札所


西美濃三十三霊場第九番札所
阿梨耶山弓削禅寺(ゆげぜんじ)
所 在 岐阜県揖斐郡池田町段 739
宗 派 臨済宗
本 尊 馬頭観音菩薩
創 建 弘仁8年(817年)
開 基 伝・最澄伝教大師

弓削禅寺は8番・善南寺から北へ約5㎞、池田山麓の寺院群の中で最も標高の高いところにあり、すばらしい眺望が楽しめます。

かつて、伝教大師最澄が美濃安八にきたとき、池田山の上に連日紫雲がたなびくのを見て不思議に思われ、この場所を訪れました。すると湯気の出ているところに温泉を見つけ、試しに錫杖(しゃくじょう)を差し入れて探ってみたところ、忽然として馬頭観音像が湧出しました。弘仁8年(817年)、この観音を安置するため草菴を結び、阿梨耶山湯華寺と号したのが、弓削禅寺の始まりと伝えられています。現在もご本尊はもちろん馬頭観音菩薩です。
第9番霊場の碑と馬頭観音御霊場の碑
 
応徳年間(1084~87年)白河法皇が谷汲山に参拝した折病気になり、この湯華寺の湯につかったところ完治したという逸話が残っています。その時白河法皇から「弓削寺」を授かり、湯華寺から弓削寺に寺号が変わったとされています。
本堂と落ち着きのある庭園
鐘楼はごく一般的かな?

馬頭観音にあやかってか、池田町では草競馬が盛んだったようです。特に弓削寺の草競馬は昭和30年ころまで行われていました。弓削寺の馬頭観音は今でも馬に関係のある人たちに信仰されているようです。



 花の里としても知られる弓削禅寺ですが、2万本とも言われるアジサイが特に有名で、6月頃は寺の中も外もアジサイに覆い尽くされる感があり、見応え充分です。それ以外に春の桜、初夏のさつき、秋には紅葉と、自然を楽しむ絶好のスポットと言えるでしょう。

なお、お寺では「湯華庵」というお食事どころを経営しており、予約すれば精進料理をいただくことができます。
湯華庵入口付近

2011年11月23日水曜日

西美濃三十三霊場第8番札所

西美濃三十三霊場第八番札所
高尾山善南寺(ぜんなんじ)
所 在 岐阜県揖斐郡池田町片山2663-5
宗 派 浄土宗
本 尊 十一面子安観世音菩薩
創 建 弘仁2年(811年)
開 基 伝・最澄伝教大師

 今回紹介する8番・善南寺をはじめとして、9番・弓削禅寺、10番・平安寺、11番・瑞巌寺、15番・安國寺は、濃尾平野を一望する池田山の山麓道路(西美濃お茶街道)約7㎞の沿道に点在する寺院群です。周囲には茶畑が広がり、歩きながら1日かけて回るのもいいですし、春や秋はドライブがてらに回るのも気持ちが良いコースでしょう。


茶畑を縫うように走る「西美濃お茶街道」 窓を開けて走ると爽やかです。
 
その中の一番南にあたるのがこの善南寺で、JR大垣駅から約10㎞、車なら20分以内でしょう。最寄りの養老鉄道池野駅からは約3㎞です。

第8番霊場の碑
弘仁2年(811年)、伝教大師最澄により善南寺山(海抜800メートル)の高峰に創建されたと伝えられています。平安時代は末寺十八ヶ寺,寺領三百五十石を有し,天台仏教修行の聖地として隆盛を誇りましたが、平治の乱(1159年)ですべて焼失してしまいました。

その後、堂ヶ谷に草庵を結んで法燈を守り続け、500年を経た寛文6年(1666年)、字東光寺の地に七堂伽藍が再興されましたが、大正8年(1919年)、火災によりまたも全山焼失します。現在の善南寺は、昭和18年(1943年)、四度目の転地で再興されたものです。
正面から山門を見上げたところ

元禄12年(1699年)には、京都知恩院から玄譽上人を迎えて開祖一世と仰ぎ、天台宗から浄土宗に転派しています。

本堂には十一面子安観世音菩薩立像が安置されています。

ご本尊の十一面子安観世音菩薩は鎌倉時代14世紀頃の作とされています。像高はほぼ等身大の168cm、桧材の寄木作りで、腹部が空洞になり胎内仏を収めてあるところから、子安観音像として信仰を集めています。

住職が御本尊を写仏されたものです
近くには池田温泉があり、道の駅と合わせてとても賑わっています。また標高900メートルを超える池田山にはドライブコースがあって車で登れます。展望台からは文字どおり濃尾平野が一望できますし、暗くなれば美しい夜景を鑑賞することができます。やはりこの池田山一帯は車で回ると楽しいでしょうね。

池田温泉本館 観光客だけでなく地元の人達にも人気のスポットです。


2011年11月20日日曜日

もみじまつりへGO!

横蔵寺のもみじまつりに行ってきました。(2011/11/20)
そこらじゅうのぼりが立っています。
朝早かったので露出がうまくいきませんでした。



2011年は、とても温暖なので色づき方が今一つです

部分的にはとてもきれいな赤になっている葉もあります。綺麗です。

その足で、谷汲山華厳寺にも行ってきました。(2011/11/20)

こちらも負けじと「もみじまつり」ののぼりが立ってます


横蔵よりこちらの方が紅葉は進んでいるかな? 見頃ですよ!


まずまず鮮やかな色づき、いい雰囲気です


この一週間がピークの様です。お出かけ下さい!

イメージキャラクター「いのりちゃん」が待ってます!

2011年11月18日金曜日

西美濃三十三霊場第7番札所

西美濃三十三霊場第七番札所
城台山一心寺(いっしんじ)
所 在 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪 2924-2-2
宗 派 浄土宗
本 尊 阿弥陀如来(十一面観音)
創 建 天保元年(1830年)
開 基 播隆上人

一心寺は天保元年(1830年)播隆上人の開祖で、城台山の標高180メートルほどのところに有ります。播隆上人は独修独行の念佛行者と言われ、山岳にその浄地を求め、また槍ヶ岳・笠ヶ岳の開祖としても知られています。寺には、上人が槍ヶ岳登頂に用いたナタ・杖、そして常に持ち歩いたと伝えられる「円空仏」が残っています。

第7番霊場の碑
 
大垣駅から17㎞ほど、養老鉄道の揖斐駅から約1.5㎞で城台山のふもとに着きます。そこから竹やぶの中の道を800mほど上っていくと、揖斐川町の中心部が一望できる見晴らしの良い境内につきます。

少しけぶってますが、町を見下ろすとこんな感じ
 
本堂や鐘楼は弁殻塗りで、ちょっと大陸的な雰囲気が漂っていますし、周りに民家もない山の上なので、風の音や鳥の声が心地よく爽やかです。

赤のベンガラが目立ちますね
 
かつての伽藍は明治12年に濃尾大震災で全壊してしまいましたが、2年後に再建されたのが今の建物で、コンパクトにまとまっています。
春秋の彼岸に展示される地獄絵図が有名なのですが、なかなか拝観する機会がありません。
厚みを感じさせる本堂 

城台山は標高220メートルで、山頂には揖斐城がありました。一心寺の境内からさらに450mほど登り道をたどると本丸跡に行くことができます。

案内の立て札があります

康永2年(1343年)ころ土岐頼雄が築城したと伝えられる中世の山城です。その後土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城としました。

森の中をどんどん登っていきます

しかし、天文16年(1547年)、城主揖斐光親のときに斎藤山城守道三に攻められて落城し、後に廃城となりました。南の丸・本の丸・二の丸・三の丸・太鼓曲輪・北の丸・搦手曲輪と連郭式に曲輪を配置した典型的な山城で遺構は良く残っています。

本丸跡のあたりに史跡を示す碑があります


現在は山全体が城台山公園になっていて、遊歩道を反対側に下ると揖斐川町の歴史民俗資料館にたどり着きます。4番・月桂院から6番・東光寺を経て、7番・一心寺、揖斐城跡、資料館というのが一つのモデルコースでしょう。

http://plaza.rakuten.co.jp/5910tora

2011年11月17日木曜日

西美濃三十三霊場第6番札所

西美濃三十三霊場第六番札所
醫王山東光(とうこうじ)
所 在 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野 135
宗 派 臨済宗妙心寺派
本 尊 薬師如来(千手観音)
創 建 千百有余年前
開 基 最澄伝教大師

伝教大師最澄が諸国を遍歴する途中、しばらく当地に留まり、「大神郷の良の山中に聖地あり」と霊感をうけて薬師瑠璃光如来を彫刻され瑠璃殿を建立して安置したのが医王山東光寺の始まりと言われています。

第六番霊場の碑

大垣駅からは15㎞ほどなので自動車で25分ぐらいです。最寄りの養老鉄道揖斐駅からなら、約1.4㎞のところにあります。4番・月桂院からは約2.8㎞、7番・一心寺へも約2.7㎞ですから、現地まで大垣駅から養老鉄道を利用し、徒歩で3寺をセットで回ると効率的です。

山門を正面から

当初は天台宗として創建されましたが、650年ほどして,永正年間(約500年前)大宗宗弘和尚(本巣郡上之保慈雲寺)が東光寺住職を兼任され、天台宗より禅宗に改宗しています。
本堂を正面から 周囲は緑に囲まれています
手洗いは清水です

現在の本堂は十八世当山中興霊海玄妙和尚が再建したもので、鐘楼、山門も同じ年代に建築されたと推定されていますので、約200年前と考えて良いでしょう。山際にひっそりと建つ古刹で、東海四十九薬師霊場第14番札所でもあります。


伝教大師最澄が自ら彫刻して瑠璃殿に安置された一刀三礼の薬師瑠璃光如来が本尊です。拝観したときは御真言「オン コロコロ センダリ マトウギソワカ」と唱えましょう。この薬師如来は「乳薬師」として有名で、女性の信仰を集めています。

立派な鐘楼です

東光寺縁起の碑

福島県いわき市、埼玉県所沢市、神奈川県鎌倉市、静岡県静岡市、愛知県常滑市、三重県南牟婁郡紀宝町、大分県宇佐市、長崎県北松浦郡佐々町など、「東光寺」は全国にたくさんありますが、これらの山号は大抵が「医王山」です。
曹洞宗の東光寺はこの山号のものが多いのが特徴ですが、薬師如来を本尊とする東光寺の場合、「医王山」の山号がセットになっていると思われます。昔から「医」と「薬」は切り離せない関係なんですね。

2011年11月16日水曜日

西美濃三十三霊場第5番札所

西美濃三十三霊場第五番札所
瑞巖山天喜寺(てんきじ)
所 在 岐阜県大垣市上石津町一之瀬1316- 
宗 派 臨済宗妙心寺派
本 尊 観世音菩薩
創 建 伝・天喜1057年)
開 基 伝・天台の僧玄良

第4番までは西美濃でも北の揖斐郡に集中していましたが、第5番霊場の天喜寺はまったく方向違いの大垣市上石津町にあります。6番からはまた揖斐郡に戻るのですが、どうして5番だけこの順になったのかは残念ながらまだ調査できていません。
第5番霊場の碑
 大垣駅から約18㎞のところですから、車でも25分くらいかかります。関ヶ原インターからは約6㎞。最寄駅のJR関ヶ原駅からは約7㎞なので歩くと1時間半以上かかるでしょう。寺は山裾に抱かれるように建っています。

登り口です 雰囲気がありますよね

寺伝によれば、1057天喜5年)、天台宗天台の僧玄良が隠栖の地として、源頼義の協力で創建されたということです。寺院の名はこの時の元号からつけられたものです。

山門です 堂々としています
貞治5貞治1366年)、雙桂定巖禅師により臨済宗妙心寺に改宗しています。
本堂がしっとりとした実に美しい姿をしています。素人の写真でも素晴らしい建物だということが分かっていただけるでしょう。
奈良の古刹の金堂を思わせる本堂 美しい姿です(絵葉書みたい)
 山号は瑞巖山。ひときわ高く古びた山門、安定感のある落ち着いた本堂と静かな庭園など禅寺特有の風格を備え、堂内には定厳和尚の坐像や円空仏などの文化遺産も多く残されています。


鐘楼


庭もよく手入れされています

文化財などの紹介
近くの牧田川の多良峡は、夏になると水遊びやキャンプ、バーベキューなどで賑わいますが、そうした喧騒から切り離された空間として静かに存在する天喜寺。一度は寄ってみたい名刹です。