西美濃三十三霊場第七番札所
城台山一心寺(いっしんじ)
所 在 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪 2924-2-2
宗 派 浄土宗
本 尊 阿弥陀如来(十一面観音)
創 建 天保元年(1830年)
開 基 播隆上人
一心寺は天保元年(1830年)播隆上人の開祖で、城台山の標高180メートルほどのところに有ります。播隆上人は独修独行の念佛行者と言われ、山岳にその浄地を求め、また槍ヶ岳・笠ヶ岳の開祖としても知られています。寺には、上人が槍ヶ岳登頂に用いたナタ・杖、そして常に持ち歩いたと伝えられる「円空仏」が残っています。
第7番霊場の碑 |
大垣駅から17㎞ほど、養老鉄道の揖斐駅から約1.5㎞で城台山のふもとに着きます。そこから竹やぶの中の道を800mほど上っていくと、揖斐川町の中心部が一望できる見晴らしの良い境内につきます。
少しけぶってますが、町を見下ろすとこんな感じ |
本堂や鐘楼は弁殻塗りで、ちょっと大陸的な雰囲気が漂っていますし、周りに民家もない山の上なので、風の音や鳥の声が心地よく爽やかです。
赤のベンガラが目立ちますね |
かつての伽藍は明治12年に濃尾大震災で全壊してしまいましたが、2年後に再建されたのが今の建物で、コンパクトにまとまっています。
春秋の彼岸に展示される地獄絵図が有名なのですが、なかなか拝観する機会がありません。
厚みを感じさせる本堂 |
城台山は標高220メートルで、山頂には揖斐城がありました。一心寺の境内からさらに450mほど登り道をたどると本丸跡に行くことができます。
案内の立て札があります |
康永2年(1343年)ころ土岐頼雄が築城したと伝えられる中世の山城です。その後土岐氏の支族である揖斐氏が約200年にわたって居城としました。
森の中をどんどん登っていきます |
しかし、天文16年(1547年)、城主揖斐光親のときに斎藤山城守道三に攻められて落城し、後に廃城となりました。南の丸・本の丸・二の丸・三の丸・太鼓曲輪・北の丸・搦手曲輪と連郭式に曲輪を配置した典型的な山城で遺構は良く残っています。
本丸跡のあたりに史跡を示す碑があります |
現在は山全体が城台山公園になっていて、遊歩道を反対側に下ると揖斐川町の歴史民俗資料館にたどり着きます。4番・月桂院から6番・東光寺を経て、7番・一心寺、揖斐城跡、資料館というのが一つのモデルコースでしょう。
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