西美濃三十三霊場第二番札所
宝雲山来振寺(きぶりじ)
所 在 岐阜県揖斐郡大野町稲富398
宗 派 真言宗智山派
宝雲山来振寺は、JR大垣駅を起点とした場合、北東へ約18㎞(自動車で30分くらい)の緑の中に静かにたたずんでいます。
第2番霊場の碑 |
霊亀元年(715年)、行基によって開山され、最初は法相宗で真福寺と称しました。
ところが、新亀2年(725)、寺の裏山である白山に黄金色の雪が降り積もり、これを伝え聴いた聖武天皇が「黄金色の雪は、加賀の白山権現菊理媛神が天下った瑞祥である」として、勅号により「来振寺」(黄降寺)と改称されました。
下って承平7年(937)には真言宗に改宗しています。
鎌倉時代には、七堂伽藍十二坊、僧兵200余名を擁する大寺院として隆盛を極めたということですが、享禄3年(1530)の根尾川大洪水で寺領の田畑を流失してしまいます。さらに永禄三年(1560)には織田信長の軍に攻められ、七堂伽藍ことごとく焼失して僧兵も離散、寺として存続できない状況に陥りました。
その後、慶長・元和年間に、豊臣秀吉・徳川家康の朱印状によって寺領を得て再興されます。昭和に入って大師堂、本堂、山門が再建され、今日の伽藍構成となりました。
豪壮な造りの大師堂 |
本堂(大師堂に比べるとすごく小振りです) |
風情ある山門 |
国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像、十一面観音立像、代般若経、掛仏、駕籠などの県や町指定文化財も豊富に保有しています。
不動堂 / 聖天堂
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火渡り |
ただし、大野町唯一の札所なので、お隣の揖斐川町にある第3番「金剛寺」、第4番「月桂院」、第6番「東光寺」、第7番「一心寺」などとセットで巡ることをお奨めします。
周辺見どころ
近くには国指定史跡「野古墳群」があります。5世紀末から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された古墳群です。この時期にこれだけの規模の古墳が密集して造営されることは希なため国指定史跡になりました。9基が現存しています。
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