2011年11月2日水曜日

西美濃三十三霊場第2番札所

西美濃三十三霊場第二番札所
宝雲山来振寺(きぶりじ)
所 在 岐阜県揖斐郡大野町稲富398
宗 派 真言宗智山派
創 建 伝・715霊亀元年)
開 基 伝・行基

宝雲山来振寺は、JR大垣駅を起点とした場合、北東へ約18㎞(自動車で30分くらい)の緑の中に静かにたたずんでいます。
第2番霊場の碑

 霊亀元年(715年)、行基によって開山され、最初は法相宗で真福寺と称しました。
ところが、新亀2年(725)、寺の裏山である白山に黄金色の雪が降り積もり、これを伝え聴いた聖武天皇が「黄金色の雪は、加賀の白山権現菊理媛神が天下った瑞祥である」として、勅号により「来振寺」(黄降寺)と改称されました。
下って承平7年(937)には真言宗に改宗しています。

鎌倉時代には、七堂伽藍十二坊、僧兵200余名を擁する大寺院として隆盛を極めたということですが、享禄3年(1530)の根尾川大洪水で寺領の田畑を流失してしまいます。さらに永禄三年(1560)には織田信長の軍に攻められ、七堂伽藍ことごとく焼失して僧兵も離散、寺として存続できない状況に陥りました。
その後、慶長・元和年間に、豊臣秀吉・徳川家康の朱印状によって寺領を得て再興されます。昭和に入って大師堂、本堂、山門が再建され、今日の伽藍構成となりました。

豪壮な造りの大師堂

本堂(大師堂に比べるとすごく小振りです)

風情ある山門
 歴史的逸話も多く、美濃守護職として本巣町山口(現本巣市)に在住した梶原景時が、幕命によって源義経追討に出陣する折り、また義山和尚と親交のあった赤穂浪士大石良雄が江戸へ下る途中、この寺に立ち寄り、共に戦勝祈願をしたと伝えられています。
現在は西美濃三十三霊場第二番札所のほか、美濃新四国第五十五番札所にもなっています。

西国三十三観音堂
三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場
国宝の五大尊像のほか、薬師如来画像、十一面観音立像、代般若経、掛仏、駕籠などの県や町指定文化財も豊富に保有しています。

不動堂 / 聖天堂

 毎年2月には町の無形文化財に指定されている「節分星まつり」が行われます。「柴灯大護摩供」では、不動堂前に組まれた護摩壇に護摩を焚き、願い事や名前を書いた護摩木を火にくべます。厄年の男女たちが護摩木の炭火の上を素足で歩く「火渡り」を行い、ご利益を祈願します。(第33番札所・美濃国分寺で5月に行われるものと同じ趣旨です。)

火渡り
 山に囲まれ、静かで荘厳な雰囲気。広い無料駐車場が整備されていますので、車でふらりと訪れて、静寂に浸るのも一興です。
ただし、大野町唯一の札所なので、お隣の揖斐川町にある第3番「金剛寺」、第4番「月桂院」、第6番「東光寺」、第7番「一心寺」などとセットで巡ることをお奨めします。

周辺見どころ

近くには国指定史跡「野古墳群」があります。5世紀末から6世紀初頭(今からおよそ1500年前)にかけて造営された古墳群です。この時期にこれだけの規模の古墳が密集して造営されることは希なため国指定史跡になりました。9基が現存しています。

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